情報の奔流と自分の人生

情報を人生の選択に活かすって難しい。

これは、量的な問題と質的な問題に大別できると思う。

 

まず、量的な問題について。

情報を多く持っているというのは、それだけ選択肢を多く想定できる可能性がある点で有用だ。情報の入手自体は、インターネットがあるから昔に比べたら、だいぶ情報格差はなくなったと言えると思う(インターネットにもない独自の情報っていうのはあるなって職業柄思うけど)。

とは言え、多すぎてもいけない。集めるのに時間がかかるし、集めた情報から全ての可能性を考慮するのは、まぁキツい。人間の脳って大量の情報を同時に処理できるようにはできていないと思う。しかも、集めた情報を全て信頼するわけにもいかないし。

 

質的な問題もある。

要は、どれだけ信頼できて、かつ、選択結果から得られる満足感が大きいかだ。

日常生活を振り返ってみると、信頼できるかどうかは、誰からどのように入手したかで変わってくるように思う。権威的存在(組織、人、みんなそうしてる)から得た情報は、特に何もせずに信頼するところがあるし、自分から取りに行った(と思っている)情報は信頼しやすい。逆に、そうじゃない場合、発信者の立場、情報の中身の論理的整合生、合理性、類似者の発信情報との整合生、反対情報との比較などを行って(情報の網羅生にも留意しつつ)検証することになるから大変な作業になる。

それと、選択結果から得られる満足感が大きい場合っていうのは、知り過ぎず知らな過ぎず自分が最善の判断をしたって思ってるときだろうから、偶然と主体性の産物なんだろうな。

 

信頼でき、選択結果から得られる満足感が高い情報が適度にある状態が効率性、効果性から見て理想だけど(なんて当たり前のことなんだ!)、その実現のためにはどうしたらいいのかが問題だ。

 

これは、どういうコミュニティに所属しているかなんだろうな。

僕が思うに、歴史があり、時代の変化に敏感で、人数がそこそこなコミュニティがきっとベストだ。

この条件に合うコミュニティは、時間という淘汰圧に耐えた情報(信頼でき、効果も高い)と、鮮度が高くユニークな情報(キャズム越えの時の先行者利益を得られる)が蓄積されてると思うからだ。

 

そんなコミュニティが見つかって、かつ、自分と親和性が高ければ最高なんだけどな。難しいのかな。

 

おしまい